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店主のブログ「紙魚庵の日々、あれこれ」は、3月末からお休みをいただいております。
お訪ねいただいた方々には、大変ご心配をお掛けし、申し訳ありません。
近じか、形も内容も一新して再開したいと考えておりますので、
もうしばらくの猶予をいただきますようお願い申しあげます。
平成20年8月、「紙魚庵」店主
2008-08-13(Wed) | 日々@雑録 | comment : 30 | △
3月29日(土) 桜満開の世田谷文学館にて
桜花らんまんの季節、お花見がてら芦花公園の世田谷文学館で開かれている永井荷風展(*1)に、『断腸亭日乗』の原本が出品されているというので出掛けました。この日記は、大正6年(1917)の9月17日に起筆され、昭和34年4月29日の死に至るまでの何となんと42年に及ぶ長大な日記です。手帳に鉛筆で書かれた備忘録的なメモを、後から筆で浄書するという手の混んだもので、榛原製の罫入り雁皮紙帳に見事な筆跡で書かれており、それ自体が美術品のような輝きを放っていました。まさに永井荷風という一人の作家の生きてきた軌跡でありますが、その内容記述から、わが国近代史の貴重な記録であると共に、記録文学としての質の高さはまったく異議を挟む余地はありません。その完成度では明治以降の日記文学の最高峰といわれる所以です。

永井荷風は、この『断腸亭日乗』や『ふらんす物語』、『濹東綺譚』などの作品で多くの愛読者から熱狂的に支持され、大作家のイメージが先行していましたし、その言動や振舞いからも特異な作家というイメージで見られてきました。また荷風は、これまで多くの作家や評論家からさまざまな視点で論じられ、一つの荷風像が出来あがっていました。ところが3年前、荷風作品のそこかしこに見られる“女性性”に注目し、独身者として個を貫く生き方に大いなる共感を抱きつつ、これまでの荷風像とはまったく違う“フェミニン・荷風”の視点で捉えた画期的な荷風論が登場します。青山学院女子短大・國學院大学の講師で日本近代文学研究者である持田叙子の『朝寝の荷風』(*2)がそれです。今回の展覧会の監修者です。
ここで論じられている荷風は、例えば、デパートでの買物好き、レストラン偏愛のグルメ志向等など、
現代女性が好む多くの共通点を持っているということに注目し、〈荷風文学には、今を生きる人々にとって多くのヒントがある〉と提言しているところです。
荷風は30歳代に二回の結婚、離婚を経験していますが、大正9年、41歳の時に麻布『偏奇館』に転居した以降は独身者として、いまでいう“シングルライフ“を実践するのです。この点からも荷風は、現代社会に生きる人々との共通点を多く持つ先駆者といわれる所以なのです。
〈男子たるものは此れにつきて相応の心掛けは必要〉と、明治生まれ、48歳の偏奇館の主は、日乗で説いています。実際荷風は、無駄な労力を省く工夫をこらしつつ、料理、裁縫、掃除、食料買出しを一人でこなし、思想としての個人主義を説くだけではなく、生活者として、それを実践するのです。こうした日々の実感の厚みがあるからこそ、戦時下も軍国主義の世相を抗う彼の個人主義はブレなかったのでしょう。
都市型独身生活を満喫する結婚しない若もの、そして望むと望まざるとに関わらず起こり得る老後の一人暮らしが増える昨今です。日記『断腸亭日乗』はいまでいうブログですし、『日和下駄』に代表される散歩(ウォーキング)、随所に出てくる庭の掃除(ガーデニング)、買い物好きに優雅な自炊生活(クッキング)等など、独身を積極的に楽しんだ荷風の生き方“シングル・シンプルライフ”に、現代人がこの社会を生ぬ抜くための処世術が、そして高齢化が進むわが国の老いの一人暮らしのヒントが隠されているように思わてなりません。
(*1)『永井荷風のシングル・シンプルライフ』世田谷美術館・開催中!4月6日まで。
(*2)持田叙子『朝寝の荷風』人文書院・2005年5月刊・定価:2.415円(税込)
2008-03-31(Mon) | 日々@雑録 | comment : 0 | △
2月12日〈火〉 初台の東京オペラシティアートギャラリにて
1966年(昭和41年)、ベネチア・ビエンナーレ展の版画部門で大賞を受け、版画家として国際的な名声を浴びる一方で、芥川賞を受賞するなどマルチアーティストとして活躍した池田満寿夫。常に時代の先端を突き進んだ彼が最後にたどり着いたのは”日本回帰”でした。1983年頃から取り組んだ陶芸作品、その代表作“般若心経”シリーズは独創的で創造力に満ちたものでしたが、発表当時は必ずしも正当に評価されませんでした。いま、池田満寿夫の回顧展が初台で開かれていますが、その知られざる陶芸作品に焦点があてられています。

もう一つ興味深いのが初期作品です。池田満寿夫が長野県立長野北高校(現・長野高校)二年、16歳のときに描いた油彩画「橋のある風景」が出品されています。長野市七瀬にある陸橋がモチーフになっていますが、当時、彼が憧れていた松本俊介の「Y市の橋」(1942年)に強い影響を受けたことが一目で分ります。暗欝な色調ながら叙情性が漂い、一つの秩序の中で風景を自由に改変している様がパレットナイフの削りによって読み取れます。画面を自由自在に再構成するその制作手法が、のちの版画表現に多くの共通点が見られ、池田満寿夫の原点を見ることができます。
昭和25年から10数年、高校の美術活動で最も注目されていたのが「全日本学生油絵コンクール」(注)でした。当時、美術に熱心な高校は、このコンクールに学校を挙げて取り組み応募していました。まさに“美術の甲子園“といったところでしょうか。私の在学していた大阪の高津高校は美術教育が盛んな学校で、その方面でちょっと知られた名門校でした。後に村岡三郎や森村泰昌をはじめ、多くのアーティストを世に送り出していることからも証明されています。
池田満寿夫の「橋のある風景」は、1951年(昭和26年)、その第1回「全日本油絵コンクール」に応募し、アトリエ賞を受賞します。それから9年後になりますが、私が高校3年の時にこのコンクールで特選に受賞し、展覧会を観るために上京した折、都美術館の中央入口階段(新しくなる前の)に座っている池田満寿夫の姿を見たのです。当時、東京国際版画ビエンナーレンナーレで受賞し注目され始めた頃で、美術雑誌に載った写真で知っていたのです。ただ顔を見たというそれだけのことですが、今でもはっきり記憶しているのですから、印象深かったのでしょう。
高校卒業後は、ユトリロ、ヴラマンク、モディリアーニ、佐伯祐三らの作品にも惹かれていたようで、パリの裏町を想像させる場所を探して、長野市内の露地から露地を歩き回って絵を描いていたそうです。1954年の「骨を持つ女」は、キュービズムの影響を受けたピカソばりですが、この作品は自由美術協会に応募し落選します。同年の「太陽の下の塊」は、エルンスト、ミロ、キリコらシュールリアリズムの影響を受け、「アフリカの太陽」(1956年)はカンデンスキー風の抽象画、「眼について」はレジェのオプティミズムを思わせ、いろんな模索をしていたことが分ります。こう見て来ますと、”世界の満寿夫”の名を欲しいままにした晩年ですが、芸大受験に3回落ちたりして、模索と苦悩の不遇時代を経て独自の世界にたどり着いたことが、これらの作品から見て取れます。
因みに、第9回「全日本油絵コンクール」に入賞した私の作品は、当時外国の美術雑誌で見たイギリスの画家、ベン・ニコルソンのまさに模倣でした。賞をいただいたのが不思議ですが、いま考えると若気の至りとはいえ恥かしい限りです。後に公募展「行動美術」に応募した作品なども含めすべて処分してしまい、いま手元にないのがせめてもの救いです。若かりし池田満寿夫の初期作品を見て、まあ、若いときは大なり小なり既存作品の影響を受けるのだと、納得するのでした。いずれにしましても、50年も前のことです。
●『池田満寿夫−知られざる全貌展』 東京オペラシティアートギャラリー(初台)・3月23日まで(月曜休館)・入館料:一般1000円 同時開催:収蔵品展『“清らかなもの”−舟越保武、長谷川潔を中心に』、project N35:『名和聡子』
(注)「全日本学生油絵コンクール」=学生油絵の振興を目的に発足した日本最初の学生公募展。1950年(昭和25年)、安井曽太郎(初代会長)、須田国太郎、林武ら8人によって設立、主催は毎日新聞社。美術界への登竜門として、池田満寿夫はじめ多くの才能ある作家を世に送り出しました。
2008-02-12(Tue) | 日々@雑録 | comment : 0 | △
2月10日(日) 雪化粧をした宮前農園にて
立春が過ぎたとはいえ列島は寒気団に覆われて、東京は週末毎に雪、昨夜から5回目の降雪となりました。お蔭で畑はドロドロにぬかるんで、農作業どころではなく開店休業の態であります。

野菜つくりで「無農薬・有機栽培」と唱えるのは簡単ですが、これがなかなか大変なことなのです。今季、キャベツの苗を畑に移植したのは9月中頃です。葉が巻いて結球し、それなりの形になるにはほぼ3ヶ月掛かります。その間、アオムシとの格闘の日々が続くのです。暇な農園主ですから時間が十分あります。この時期は毎日、農園に出掛けてはアオムシ採りです。多い日は30匹は有に駆除します。ちょっと気を許しますと、あっという間に葉っぱを食い荒らされ、キャベツの形をなしません。実に壮絶なアオムシとの闘いなのです。
ところで、市販の野菜はどうしてあんなに青々としっかりしているのでしょうか?自分の手で野菜を作ってみて、初めてその正体が分るのです。農薬なしでは葉っぱは虫食いの穴だらけで市場には出せません。最近は減農薬を売り物に店頭に並んでいますが、それでもそれなりの農薬散布がされているものと推察されます。
さて、千葉、兵庫で有機リン系薬物が混入された中国製ギョーザを食べた10人が下痢や嘔吐などに見舞われた薬物中毒事件ですが、いまだはっきりした結論は出ていないものの、これまでの報道などから推測するに、中国サイドで故意に混入された可能性が高そうです。
かって冷凍ほうれん草から大量の残留農薬が見付ったことがあり、中国産の野菜は、一時スーパーの店頭から姿を消しました。とは申せ、加工食品は検査外でしたから、その後も大半は中国製でした。いつか大事になるのではと心配されていましたが、その通リになってしまいました。
中国製の冷凍ギョーザから見付ったのは有機燐農薬の有効成分(原体)の一つ「メタミドホス」です。これはわが国では非登録農薬のため国内では手に入らないといわれています。しかしながら、この論理はどうも楽観的といえるようです。野菜や果樹農家はもちろんのこと、家庭菜園などで「オルトラン(原体名:アセフェート)」という商品名で大量に使われている農薬があります。スーパーの園芸用品売場で簡単に手に入りますから、ごくごく一般的に使用されています。
この「オリトラン」は、散布された根や葉から有効成分が吸収され、植物体内を移行することにより、殺虫効果を持つ浸透移行性の農薬です。よって、この原体・アセフェートが、実は生体内で「メタミドホス」に変化してより強い殺虫効果を発揮することを想定して開発されているのです。「オルトラン」が大量に散布され、有効成分のアセフェートが環境中で一部分解し、「メタミドホス」になるということです。従って、大量に散布された野菜に付着したアセフェートを摂取すると、まさに中国製ギョーザを汚染した「メタミドホス」と同じ毒性に強まる可能性があるということです。実際に非登録になっている筈の「メタミドホス」が日本の農作物から検出されているのも事実です。このようなことからも、ごくごく身近で有機燐が多用されていると考えるべきで、わが国で生産されている農作物こそ深刻な問題を含んでいるのかも知れません。
雪に覆われた畑から穫り上げた穴だらけのキャベツを見ながら、食の安全について、ふと心配がよぎったのです。中国を危険視する前に、われわれの足元は大丈夫なのか?・・・と。
2008-02-10(Sun) | 日々@雑録 | comment : 0 | △
2月3日〈日〉 恵比寿・東京都写真美術館にて
朝起きると、まず歯を磨き顔を洗います。すると洗面台の鏡に寝起きのわが顔が映し出されます。毎日毎朝繰り返されるこの行為はまさに日常の出来事ですから、《ヒゲが少し伸びたなぁ》とか、《だいぶシワが増えたなぁ》程度の認識はありますが、それも何でもない日常の出来事のひとコマとして、特に取り立てて考えることはありません。要するに日頃は、自分の顔を特に意識することはないということです。
土田ヒロミというカメラマンがいます。60年代終りから、日本という国に対して常に問題意識を持ち、ユニークな視点と明確なコンセプトと、そして実験的なアプローチで”ニッポン”を表現し続けた写真家です。「自己表現」と「徹底的な記録」の両面を行き来することで進化してきたこの作家の作品からは、日本が抱えてきた問題を提起するだけではなく、その作品の背後にある社会性と時代性を強く汲み取ることができます。
日本の古い宗教的な空間を捉え、”過去に繋がる私”を追求した「俗神」シリーズ、異常ともいえるバブルに沸いた日本の姿を”踊る私”で捉えた「パーティー」シリーズ、拡大する経済成長下で都市化が進む日本、その”群集の中の私”を捉えた「砂を数える」シリーズ等など、いずれも彼の根底にあるのは、その時代を背にした”私“の追求にありました。

その究極は、セルフポートレートです。自宅にカメラの設置場所を作り、出掛ける前に毎日毎日、セルフタイマーで自分の顔を定点観測的に撮り続ける方法を考えます。1986年7月18日から一日一枚、来る日も去る日もシャッターを押し続けます。それは何と21年間続きますから、その量は膨大になります。その蓄積されたイメージをすべてオーバーラップさせ、アニメーションのような映像を作り上げます。また、一年365日の顔のデータをデジタル出力したプリントによって、年別に貼り合せてカレンダーのような作品にまとめあげます。
《老人問題を考えるとき、老人ホームの人たちを撮ったって始まらないでしょう。で、こういう形でやってみようと思ったんです。できれば一日も休まず継続して、最後はデスマスクで終ると、面白いドキュメンタリになる筈だと思って・・・》と本人が語っていることから、この作品は「老い」の問題がテーマになっています。老化問題と銘打って大真面目にドキュメントする作者の行為そのものこそ、日に日に明かに老いていく自身の姿と、その馬鹿馬鹿しい行為そのものを見る者に笑い飛ばしてもらいたいと、土田は狙っていたのかも知れません。
毎朝、一瞬見る自分の顔、そんな日頃の緩慢な日常の時間の流れは視覚では捉えることは不可能だとしても、その曖昧な時間の流れを積み重ねることで知覚化する、要するに肉体の老化現象を時間で捉えるために、毎日一枚のポートレートの撮影を果たし続けたのです。今日も土田はカメラの前に立ち、セルフタイマーのシャッターを押したのでしょう。
それはそうと、改めて鏡に映ったわが顔を眺めてみますと、お頭はさみしくなりました。また、お顔のシワもめっきり増えました。いささか寂しい思いですが、でもこれが年を重ねた証拠なのでしょう。そのことは十分承知しておりますし、しっかり享受しているつもりであります。
●『土田ヒロミのニッポン』 都市化・バブル・新世紀・まつり・ヒロシマ・に見る時代と人々。
東京都写真美術館・2月20日(水)まで、月曜休館・観覧料:一般500円
2008-02-04(Mon) | 日々@雑録 | comment : 0 | △
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